従来のAIと生成AIは何が違うのか

──「AI」という言葉の雑な使われ方に、そろそろ違和感を持つべき理由

近年、「AI」という言葉は、ニュース、広告、企業サイト、行政資料に至るまで、あらゆる場所で使われるようになりました。しかしその一方で、「従来のAI」と「生成AI」という、本来は明確に区別されるべき技術概念が混同されたまま語られているケースが、特に影響力の大きい大手メディアや企業サイトでも、いまだに数多く見受けられます。

私はこの状況に、強い違和感を覚えています。それは単なる言葉遣いの問題ではなく、技術理解・社会的議論・リスク認識のすべてに影響を及ぼす、本質的な問題だと考えているからです。

本記事では、従来のAIと生成AIの違いを整理しつつ、なぜ「AI」という言葉を雑に使うことが問題なのか、そしてなぜ今こそ言葉の精度が求められているのかについて、私自身の主張を交えながら掘り下げていきます。

そもそも「従来のAI」とは何を指しているのか

まず整理しておくべきなのは、一般に「従来のAI」と呼ばれてきた技術の正体です。

これは決して古い、時代遅れの技術という意味ではありません。現在も社会のあらゆる場面で中核的な役割を果たしています。

従来のAIの中心は、判別・分類・予測です。

たとえば以下のようなものが該当します。

  • 画像を見て「これは人か、車か、動物か」を判別する
  • 過去の売上データから、来月の需要を予測する
  • 不正取引や異常値を検知する
  • 音声をテキストに変換する
  • クレジット審査や与信判断を行う

これらのAIは、基本的に「正解がある」世界を前提としています。

大量のデータを学習し、既存のパターンを見つけ出し、分類や予測を行うことが主な役割です。

重要なのは、従来のAIは自ら新しい意味や表現を生み出す存在ではないという点です。

あくまで「データの中にある関係性を数値的に捉え、最も確からしい答えを出す」ことに特化しています。

このタイプのAIは、長年にわたって産業や行政を支えてきましたし、今後も不可欠な技術であることは間違いありません。

生成AIは、何が決定的に違うのか

一方で、ここ数年で急速に注目を集めているのが「生成AI」です。

生成AIは、従来のAIと同じ機械学習技術を基盤としながらも、役割と性質が大きく異なります。

生成AIの特徴は、文章・画像・音声・コードなどを新たに“生成”することにあります。

つまり、

  • 正解が一つに定まらない
  • 表現の幅が無数にある
  • 創造的なアウトプットを行う

という点が、従来のAIと決定的に違います。

生成AIは「これは正しいか、間違っているか」を判断する存在ではありません。

「もっともらしい文章」「それらしく見える画像」「それっぽい回答」を作り出す存在です。

この性質の違いが、社会的な影響の大きさを根本から変えています。

なぜ「AI」と一括りにすることが問題なのか

ここで、私が強く問題視している点に触れます。

それは、これほど性質の異なる技術を、いまだに「AI」という一語でまとめて語っている情報発信が多すぎるという事実です。

たとえば、

  • 「AIが文章を書く時代に」
  • 「AIが仕事を奪う」
  • 「AIが人間の代わりに判断する」

といった表現です。

これらの多くは、実際には生成AIの話をしているにもかかわらず、「生成AI」という言葉を使わず、「AI」とだけ表現されています。

この省略は、一見すると分かりやすさのための配慮のように見えます。しかし私は、この「分かりやすさ」を理由にした省略こそが、理解を歪めている原因だと考えています。

用語の混同が生む3つの弊害

1. 不必要な不安と過度な期待を同時に生む

生成AIの話をしているのに「AI」と表現されることで、

人々は「すべてのAIが人間の仕事を奪う」「あらゆる判断をAIが行う」と誤解しやすくなります。

一方で、「AIなら何でも正確」「AIは間違えない」といった、過度な期待も同時に生まれます。

これは、生成AIの“それらしさ”と、従来AIの“正確性”が頭の中で混ざってしまうことが原因です。

2. リスクの所在が見えなくなる

生成AI特有のリスクには、以下のようなものがあります。

  • 誤情報の生成
  • 著作権や学習データの問題
  • 意図しない偏見や差別的表現
  • 利用者の責任範囲の曖昧さ

これらは、従来のAIにはあまり見られなかった問題です。

しかし「AI」という言葉で一括りにされることで、どの技術に、どのリスクがあるのかが見えなくなります。

3. 議論の前提が曖昧になる

AI規制、AI活用、AI教育といった議論において、

「そのAIは生成AIなのか、従来型AIなのか」が曖昧なまま進むことは、本来あり得ません。

前提がズレたまま議論をしても、建設的な結論にはたどり着けないからです。

大手メディア・企業にこそ求められる言葉の精度

特に問題だと感じているのは、影響力の大きい大手サイトほど、この用語の混同を続けているケースが多いことです。

大手メディアや企業サイトは、多くの人にとって「正しい情報源」です。

そこで使われた言葉は、そのまま一般認識として広がっていきます。

だからこそ、

  • 「どのAIを指しているのか」
  • 「それは生成AIなのか、従来型AIなのか」

を明示する責任があります。

これは専門家向けの厳密さではなく、社会的影響を考えた最低限の配慮だと私は考えています。

「分かりやすさ」と「正確さ」は対立しない

よく聞く反論に、「一般向けには細かい区別は不要」というものがあります。

しかし私は、この考え方自体に疑問を持っています。

本当の分かりやすさとは、

重要な違いを、重要な違いとして伝えることです。

「生成AI」という言葉を使うだけで済む場面で、あえて「AI」とぼかすことは、読み手の理解を助けているとは言えません。

むしろ、読み手を混乱させないために、最低限の言葉の精度を保つことこそが、誠実な情報発信ではないでしょうか。

これから必要なのは「AIを正確に語る姿勢」

生成AIは、間違いなく社会を大きく変える技術です。

だからこそ、過度に煽る必要も、過剰に恐れる必要もありません。

必要なのは、

  • どの技術の話をしているのか
  • 何ができて、何ができないのか
  • どこにリスクがあり、誰が責任を持つのか

を、言葉の段階から丁寧に切り分けていく姿勢です。

「AI」という便利な言葉にすべてを押し込める時代は、そろそろ終わりにすべきだと、私は考えています。

おわりに

私が感じている不満の正体は、感情論ではありません。

それは、「言葉の精度が、社会の理解の精度を決める」という、ごく当たり前の事実に基づくものです。

生成AIが社会に与える影響が大きくなればなるほど、

影響力のある発信者ほど、言葉に対する責任は重くなります。

従来のAIと生成AIは、似ているようで、まったく別物です。

その違いを正しく語ることが、これからの議論の出発点になるはずです。

【出典】

・総務省「AI利活用ガイドライン(現行)」

・経済産業省「生成AIに関する現状と課題(最新公表資料)」